寛文3年(1663年)北下に生まれ、享保20年(1735年)に没しました。
篤農家で農具蚕具の改良と桑の新品種改良等に努め、正徳2年(1712年)に著した『蚕養育手鑑』は、県内初の養蚕手引書といわれ、後々まで養蚕家の手本となりました。
この書は大正15年(1926年)皇后陛下台覧の栄に浴しました。
『近年上毛偉人伝』にも名を連ね、墓石の脇には「群馬県指定史跡」の標柱が建ち、鎮守諏訪神社の境内には顕彰碑が建てられています。
篤農家で農具蚕具の改良と桑の新品種改良等に努め、正徳2年(1712年)に著した『蚕養育手鑑』は、県内初の養蚕手引書といわれ、後々まで養蚕家の手本となりました。
この書は大正15年(1926年)皇后陛下台覧の栄に浴しました。
『近年上毛偉人伝』にも名を連ね、墓石の脇には「群馬県指定史跡」の標柱が建ち、鎮守諏訪神社の境内には顕彰碑が建てられています。
群馬県指定史跡(1952年11月11日指定) ぐんま絹遺産登録(2011年7月14日登録)